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Manga School☆Hamano Manga Club



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漫画スクール☆はまのマンガ俱楽部

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はまのらま

~マンガ家・イラストレーター・漫画スクール☆はまのマンガ俱楽部代表~

Rama Hamano

マンガスクール・はまのマンガ倶楽部代表・はまのらま
はまのマンガ倶楽部代表・はまのらま

マンガを描き上げるには、作品の設計図であるネーム創作力が不可欠

 

京都生まれで横浜在住。プロデビューは週刊ヤングジャンプ。

プロマンガ家として34年。日本工学院専門学校マンガ・アニメーション科マンガコースの創立時からの講師として21年間で1000人以上のマンガ志望者を指導。

その経験と実績から、マンガ志望者を作品完成へと指導します。

 

かつての自分は「描けないマンガ家」だった。

  

幼少よりのマンガ好き。ヒマと紙さえあれば、とにかくマンガを描いていた。しかし「絵」を描くばかりで、お話は作れず作品は全く描けなかった

 

マンガ家に憧れを持ち続けていたが、自分からは全くアクションも起こさず、長野県にある国立大学の工学部に進学。軽音楽部サークルに入部しバンド三昧の日々を送る。4年生になりこれから先の自分の人生をどうするかと考えたときに、初めてあわててマンガ投稿作品の制作を試みるものの、プロットもネームも全く描けずに挫折卒業後は「タイトー」というゲーム会社に就職。

 

そしてマンガとは縁のない人生を送る・・・はずだった!

 

入社2年目。とにかく一度ちゃんと「マンガ」と向き合わないと絶対に一生後悔するとの思いが膨らんでいき、生まれて初めて本気でマンガ作品に取り組む。

とはいえ、いきなりストーリー作品を作る意気地もスキルもないので、書き溜めていたネタで4コマ作品を制作。作品79本を3大マンガ出版社の小学館、講談社、集英社に持ち込み、集英社の週刊ヤングジャンプ(以後ヤンジャン)でいきなり4コマ大賞で佳作を獲ってしまう。

 

その勢いで会社を辞め、初のストーリー作品24Pを3か月で描き上げる。再びヤンジャンに持ち込むと、これまた月例賞の佳作を獲得本誌にも掲載され、これが実質の商業誌デビューとなる。

 

担当編集も付き、完成原稿ではなく「ネーム」での打ち合わせに変わる。次々にネームを要求されるも、ストーリー物の完成体験たった1本という経験の無さからネーム作りは難航。それでもなんとか、ヤンジャン増刊用の作品24P、青年漫画大賞上期佳作受賞作24Pの2本は描き上げるが、次のネームがどうしても描けず、ついにはヤンジャン編集部から完全に足が遠のいてしまう。

 

始めたばかりで運よく立て続けに賞は取れたものの、ストーリーやプロット、ネームなどを作る経験をしてこなかった自分にとっては、ネームを考え推敲し作品に仕上げるという作業は、至難の一言に尽きた。

この後の1年の間は、竹書房関係の雑誌に拾われてマンガではなくカットイラストを描き続けることになる。

 

こうして完全に「描けないマンガ家」に陥ってしまったのだ。

 

そんな失意の中、世の中はパブル期に入り、B級マンガ雑誌が次々と創刊。

描き手が不足してか、自分のような中途半端なマンガ家にも仕事が回ってくるようになる。パチンコマンガのような企画物マンガ12~16Pが主だったが、描かせてもらえるだけで嬉しかった。来るもの拒まず、ひたすら描いた。

 

すると幸運なことが起こった。

16P前後の短編というハードルの高くない作品をいくつも描くことで、自分に決定的に不足していた実践力と経験が、無意識のうちに養われ培われたのだ。ここで初めて「自分はマンガ家としてやっていけるのではないか」という気持ちになる。

それからはマイナーながらも中堅マンガ家として、仕事にまい進していく。

 

そんなとき、日本工学院専門学校よりマンガ・アニメーション科の創立にあたり、マンガ講師をやらないかとの誘いがあり引き受けることに。そしてそこで「絵は描けても作品自体が作れない」たくさんの生徒を目の当たりにする。ほとんどの生徒が、絵は描けても「作品をまとめる力」「作品を完成に導く力」が決定的に足りなかった。

 

マンガ描きにとって一番大事な「作品を描き上げる」力を、どうやったら生徒たちに付けられるのか。物語創りや脚本創りのメソッド本や、著名なマンガ原作者やマンガ作家などのマンガ啓発本などを読み漁り、ヒントになる答を懸命に探す。

 

そして、かつて自分も同じ「描けないマンガ家」だったことに思いをめぐらし、その頃の自分ならどんなことを知りたかったか、どんなことを知れば力になったか、どんなことを教えてもらいたかったか。それを基準に作品つくりのノウハウのようなものを考え、まとめていった。

 

描き上げられない最大の原因は、作品制作の肝となる「ネーム」が作れないこと。「ネーム」はマンガ作品の設計図で、それがなければマンガ作品の完成も難しい。それなら「ネーム創作」での考え方のコツのようなものを作ることが出来れば、それを足掛かりに作品を描き上げることも出来るんじゃないか。そうして出来上がったが、独自の「ネーム創作のノウハウ」です。

 

このノウハウを使ってのワークショップ型の実践講座で生徒を指導を始めてみると、講座の課題ネームを発展させた完成作品を出版社の賞に応募した生徒が入賞するなどの、嬉しい成果も確認。ノウハウは今も定期的にアップデートさせることで、より分かりやすく効果の出るものにブラッシュアップを重ねている。

 

 「描けないマンガ志望者」のマンガ創りのきっかけになりたい。

その理念で立ち上げのが、漫画スクール☆はまのマンガ倶楽部です。